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YELL

VOL.25

小さな,大きな,私の寺子屋

医師

大村 理紗 さん

米国ミズーリ州生まれ
京都の中高一貫校から佐賀大学医学部医学科を経て,現在医師として都内病院にて勤務
珠算七段・暗算八段
滋賀県珠算選手権大会では各部門優勝
全日本珠算選手権大会3回出場

小さな,大きな,私の寺子屋

はじめに

 そろばんの現役を離れ久しくなりますが,この度YELLのお話をいただき,僭越ながら「そろばんOGからのメッセージ」をここに記したいと思います。

 私は,幼少期より花や昆虫など生き物が好きで好奇心が旺盛な子供でしたが,あるときドラえもんの人体不思議本に興味をそそられ,ブラックジャックに憧れを抱き,いつしか医療人として直接困っている方と関わりたい,また役に立ちたいと思うようになり,医学の道を志しました。現在は医師として働いておりますが,体調が不規則に変動する患者さんを複数人受け持ち,休日も必要な勉強を続け,コロナ禍も重なり多忙ではありますがやりがいを感じる日々です。

 私は米国で生まれており,海外転勤の多かった父親とともに米国を含め様々な地を回りました。当時も国際的な社会情勢の不安は繰り返され,急速なグローバル化において,わが子が路頭に迷ってはいけないと思ったのでしょう。どこでも何を食べても生きていけるたくましい人間になってほしいと両親は願ったようです。料理上手な母のおかげで,学生のときも,また今でも時間があれば台所に立ちますし,好き嫌いもほとんどなく,海外で長期間過ごそうとも困ることはありません。ただ,一か所で一貫して学習できない環境でしたから,帰国後は日本人らしい細やかな心と礼儀も学べ,且つ計算力と集中力を養ってほしいとの両親の計らいで,珠算教室の門を叩くこととなりました。

小さな“学びの寺子屋”

 私の通っていた珠算塾は,自宅から車で片道10分ほどの隣接市の小さな教室でした。決して広くはない畳敷の部屋に低い横長の折りたたみテーブルが幾つも並べてあり,肘が触れ合う程の距離に詰めて正座をするスタイルでした。また習字教室と曜日を替えて使われていましたから,今も墨の匂いに愛着があります。教室はいつ行っても熱気と珠の弾く音で満たされ,おそらく皆さんが“寺子屋”と聞いて想像するような空間が,正しくその教室でした。その名に相応しく,ここで学べることは“算盤稽古”だけではありません。入口のドアを開けるところから,もう“お稽古”は始まっているのです。まず大きな声で挨拶をしなければやり直し。出席簿に自分の名前を乱れて書くと書き直し。宿題箱に投げ入れるとやり直し。何十人もの子供に同じことを伝える,それも毎日です。今から考えると,その都度注意を促した先生の根気とその姿勢には敬服の至りです。

 そして,つい先日のことです。職場で自分の走り書きをきちんと読んでもらえなかったときがあり,「読めない字は字じゃありません」と先生のおっしゃった言葉がふと脳内再生されました。この言葉に私は背筋をしゃんとさせ襟を正します。怖かったからではありません。愛情深い言葉だったからです。叱られること以上にたくさん褒めていただき,大事なことをたくさん学んだ場所でした。

ご褒美

 私たちの教室には代表的なお楽しみが3つありました。

 ひとつはお稽古終わりのジャンケン大会。塾生同士で5枚の札を手持ちにジャンケンを続け,タイムアップ時に一番多く札を持っていた人が勝ちとなる単純なルールです。数分のお遊びでしたが,下級生が上級生を負かすことができる貴重なチャンスでしたから,みな力が入り燃えるのでとても楽しかったことを覚えています。お稽古が終わるまでの間,幼い私が集中力を保つのには十分すぎるご褒美でした。因みに,この遊びの継続で,各人のジャンケンの出し方に癖があることに早く気づけるようになり,高校や大学でも密かにジャンケンの勝敗に役立っていたと思います。2つめは出席や稽古で集めたシールでお買い物ができることでした。高価なものではありませんが毎回少しずつ違う文具やクリップは楽しみで,両親にプレゼントしたてんとう虫や熊のクリップは大事に扱われ,今でもキッチンで現役です。3つめは帰る時に1つ選んで持ち帰ることができる飴でした。口に入れると色が変化するものやシュワシュワするもの,虹色のもの,そういったものが教室内では人気でしたが,アメリカの味に慣れていた私を魅了したのは…装飾もない透明なパラフィンに包まれ,金色に輝き,頬の内側が甘い膜を張るような優しい蜜の飴…黄金糖でした。渋い選択でしたね。何しろ私にとっては今も元気のお守りですから,今日の白衣のポケットにも黄金糖を忍ばせています。この飴を語る熱量をお察しいただけるなら,ご褒美目当てで毎日母親に送迎してもらったことはもうバレましたね。

 石油ストーブの匂い,黄金糖の味,黒電話の音,ミシミシ音がする畳,段々と薄くなっていった座布団…珠算塾に結びつく感覚スイッチは数多くあります。他にも珠算教室での思い出はここに記しきれない程あり,忘れることはありません。両手では抱えきれない程の愛おしい思い出たちは,初心に立ち返るよう知らせてくれる記憶でもあり,柔らかな思い出に甘えることを許してくれる過去でもあり,今も私の心を支え続けてくれています

算盤稽古

 「りんごがこの絵の中にいくつありますか」「10個のミカンから3個とったら何個残りますか」こんな問題がたくさん並んだカラフルなドリルから始まりました。先生から指定されたタスクをこなしていく感覚がゲームのようでもあり,加えて褒めてもらえるのですから一層楽しくなり,ここは一気にスピードアップしました。確かに始まりはご褒美が根気を繋いでくれていたのかもしれませんが,成果が上がり練習に精が出るようになると,段位も順調に進んでいきました。

 ところが,県大会で珠算や暗算,読上算などの部門で優勝できるようになっていた小学4,5年生の頃,県大会地区対抗の部で自分が担当した見取算で計算ミスをして,優勝を逃してしまいました。地区対抗に出場経験のある方はお分かりかと思いますが,途中で1問ミスをすると最後の合計も必然的に合わなくなるので,たった1人の1回のミスでチームは負けです。1人の成否がみんなに影響することはチーム戦の醍醐味なのですが,地区代表で出る身としては,下級生を率いる立場であるにも関わらず,個人の部で優勝しておきながらチーム戦で足を引っ張ってしまったという事実に,チームに申し訳なく,また責任を果たせなかった自分に落胆しました。個人優勝で壇上に呼ばれても罰の悪さとやりきれない気持ちがあふれ,顔を上げられなかった苦い思い出があります。それからしばらくはその『チーム戦の醍醐味』は,燃えかすのように縮んだ私の心の上に鎮座し続けていましたが,失敗から学ぶ大切さと寛容性も学び,精神的に成長したきっかけであったかもしれません。

珠算の力

 珠算の現役を離れた方でも,暗算力は健在ではないでしょうか。私も日常生活レベルでは,買い物の際はレジに並ぶ前から1円単位で準備できますし,職場では患者さんの血液検査の数値から輸液の量を考えたり,電解質バランスを計算したりと暗算力は大活躍です。

 パソコンやスマートフォンを筆頭に,生まれたばかりの電子機器もたちまちリニューアルされ,技術革新が止まりません。確かにボタンを数回ポチポチと押しただけで答えが出てくる利便性は算盤にはありません。ポケットにも入りませんし,片手に収まるものでもありません。算盤って何やるの?と小学生の頃はよく聞かれるような目立たない習い事です。そして実際,珠算塾に通ったとしても,日常生活で申し分なく暗算ができるようになろうと思うなら段位まで取らなくても十分です。では,華やかでもないうえに,私がそれ以上の段位まで取ろうと教室に足繁く通った理由としては,達成感は努力へのご褒美に連鎖していましたし,何よりも自分の限界に挑戦する楽しみが大きかったと思います。また段位が上がっても,大会で活躍しても,両親からは何か物を買ってもらったことは一度もありません。その代わりに,私の好きなご馳走が食卓に並び,たくさん褒めてもらいました。幸せでしたね,両親には感謝です。

 練習に割いた時間は成績に比例し,手を抜けばまたこれも点数が語ります。自身のレベルが上がっていけば,そこで一緒に競う人たちのレベルも同じく上がっていくため,上を目指すことに終わりがありませんので,結果的にモチベーションに繋がっていたのかもしれません。また全国大会では,算盤を弾く私の横で,床に足もつかないほどの年齢の下の子たちが算盤を使わずに臨む姿には,圧倒的な敗北感以上に大きな感動を覚えました。自分が井の中の蛙にならずに謙虚に向き合う大切さに気づけたのは,こういった経験ができたおかげだと思います。また珠算を含むあらゆることは自分との戦いであると気づいたのは,医学部を本格的にゴールと定め,珠算塾に通える余裕がなくなった高校に上がる前だったでしょうか。大学の出願書や小論文を書く練習もするのですが,そのどれをとっても珠算に関する内容が多くを占めました。集中力,継続力,忍耐力,謙虚さ,誠実さ,自分と関わってくださった方たちへの感謝の気持ち,そして努力は自分の将来のための投資であることも学びました。

 私の人生は,きっとあの小さな寺子屋から始まったのです。
 この場をお借りしまして,改めて,小平井珠算研究会の矢野先生に心よりお礼を申しあげます。

最後に

 私が勤務する病院でも,コロナ禍のために今まで以上に強化した感染対策,治療方針を取っています。万が一の院内感染を防ぐために,患者さん同士の接触を回避するのはもちろんのこと,患者さんが自身の家族と面会することも禁じています。患者さんを守るためにやむを得ず行っている措置ですが,患者さんの寂しさが募っていく気持ちが伝わりこちらもまた辛いものです。そんな中でも今の私にとっての喜びは,患者さんが回復して退院していく姿を見送るときです。患者さんがお迎えのご家族に会ったときの笑顔は本当に心にしみます。今の私にとっての“ご褒美”です。

 最近は日々の雑多な用事に流されつつある生活でしたが,今回の原稿をまとめていく中で,私の心にある小さくも大切なものを改めて見つめ直すことができたように思います。

 このような機会を与えてくださったことに感謝申しあげます。

 そして末筆ながら,皆様のご健康と末永いお幸せをお祈り申しあげます。

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